深き黒の意思 Story

 
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勝戦への疾走


 若き将校は、今、黒鉄の中にいた。

 それは空を飛ぶ棺と呼ばれていた。
 血と硝煙の、不愉快な匂いが漂う棺であった。


「棺桶だ、と嘲り笑う者がいるようです。いずれ沈む棺のようだ、と。」
「ドルキマスの造船技術を侮る軍もいるのだな」
「ふふ、我らを恐れてのことかもしれません。ならば少将閣下。開戦の狼煙は、派手に上げるべきでしょう。」

 ディートリヒが涼しげに口元を笑み歪めて、少将――自身の上官に答えた。
 そして小さく息を吐いた後で、戦艦の進む先を見据える。

「少将閣下。霧が晴れれば、敵国が見えてくるでしょう。
彼の国は正面から迎え撃つつもりのようです。思考の欠落した貴族らしい、愚策とも言える。」
「であれば、どうする?」
少将は配下の智将に問う。
「2隻背後に回しましょう。3隻は地上に降り立たせ、潜伏させるのがよい。」
「それをどうするのだ?正面と背後から挟み撃ちなどと、よもやそんな馬鹿な話はないだろう?」
「無論、敵国も背後に気を配らぬほど愚かではないでしょう。
せいぜい背後の警戒を強めるのが関の山。しかし、3隻の戦艦は地上へ降り立たせられる。
彼らは貴族だ。礼に始まり礼に終わるべきと考えている。戦争とは、そうあるべきと考えている。
何も特別なことをする必要はないのです、閣下。我々は、ただ敵軍の警戒する空を抜けるだけ。それだけでよいのです。」

「……まさか貴官は正面に待ち構える敵とは相対せず、地上に乗り込み制圧しようと考えているのか?
敵国の、民や街に手をかけるというのか?」
「背後から撃つことも、地上を焼き払うことも、そこに大きな差はありません。」
「しかし……しかし、我々は軍人だ。正面に待つ敵を避けることも、無駄に被害を拡大させることも許されないのだ。」

「少将閣下。軍とは、国に勝利をもたらすための装置に過ぎません。
我々に必要なのは、礼儀作法ではなく、勝つための策であり、思考することをやめた敵を討つ覚悟なのです。
礼に始まり礼に終わる戦など、行儀の良い国同士でやらせておけばよい。
そんな強者が勝つための言い分を、我々が受け入れる必要はありません。
全て焼き尽くし、土地をさらう。地上から攻め入ることも、ひとつの策です。」

「閣下。ご決断を。」
「……う、うむ」


ディートリヒが志願兵としてドルキマス国に現れたのは、およそ3年ほど前のことだった。

彼はどこか、特別な雰囲気を漂わせていた。
聡明であり、大胆な策を打ち、何より配下の兵に慕われる青年であった。


「少将閣下には我が軍を鼓舞していただくだけでよいのです。
何しろここにいるのは閣下の薫陶を受け、戦場に立ちたいと考えた者ばかりですから。」
「なに、貴官のおかげだ貴官がいなければ、この軍は早々に撤退していただろう」

「では参りましょう、閣下。我らドルキマスの勝利のために。」




地上はもはや街、あるいは国としての見る影もなく、残骸と成り果てていた。

敵の戦艦を狙うわけでなければ、そう難しい作戦ではなかった。
どれだけ被害を受けようと、地上を破壊してしまえばよかったからだ。

「この街を落とすのに、我々はどれはどの被害を受けた?」
「さあ、わかりませんな。」
ディートリヒの部下であるブルーノは、悪びれる様子もなくそう言った。

「ふん。よく撤退せず持ち堪えたものだ。閣下は、この被害について何か仰っていたか?」
「いえ、特には。少将殿は、どうにも戦争に疎いようです。」
「言葉が過ぎるぞ、ブルーノ。」

ブルーノ・シャルルリエは、ディートリヒの部下であった。
叩き上げの軍人で、知性はそこそこだが、生き残ること、相手を打ち倒すことにおいてよく力を発揮した。

「少将閣下には、まだ少し健在でいてもらわねば。努々忘れるな。我らの敵はまだ生きていることを。」
「無論です、ベルク大尉。」
「本来なら敵の援軍が来る前に、掃討してしまいたかったところだが。」
「面目次第もない。」

入隊当初、過去の経歴を持たないティードリヒを訝る者はとてつもなく多かった。
小国とはいえ、軍には歴史があり、歪んだ衿持を持つ者が多かったからだ。

「ブルーノ、貴様はよくやったよ。
まさかこの戦力で戦い抜くとは、私も驚いているんだ。」
「冗談はよしてください。」

青年将校の言葉を、ブルーノは小さくかぶりを振って否定した。
冗談といえばそうなのだろう。

これだけの打撃を受けでよくやっだなどと、本来ならば吐いてはいけない言葉である。
しかし……。

「いや、貴様はよくやっている。敵の援軍が来ることが最もよいのだ、ブルーノ。」
「……どういう意味ですか?大尉。」
「なに、開戦は派手にやるべきだ、という話だ。」
「…………。」

ブルーノは気づかない。
静かに……そして冷たく燃えるその瞳に。

「増援が来たようだな、ブルーノ。」
ほんの一時の沈黙を置いて、ディートリヒは口を開いた。

「そのようですな。戻りましょう、大尉。」
「……ああ。」




敵国が抱える領地を奪ったとはいえ、ドルキマス国の被害は修愉たるものであった。

数百にのぼる兵を失った。
よもやこれほどの打撃を受けるとは、おそらく少将は思いもよらなかったであろう。
戦争の意味と、そして勝つための犠牲を、彼は考えていなかったのだ。

“…………”

もはや言葉を紡ぐことさえ、彼にはできなかった。
援軍による集中砲火を浴び、撤退の命令を出すための兵を失い、沈みゆく船に乗ったまま、愕然と外を眺めている。

何故、これほどの援軍が来たのか?
何故、地上を砲火した後で撤退しなかったのか?
何故、ディートリヒ・ベルクは、これに気づかなかったのか?

“……本当に彼は気づいていなかったのか?”

敵がたった数隻であるとは考え難い。であるならば、どうして……
あの男は敵の援軍があることを、告げなかったのだ?

“棺桶だ、と嘲り笑う者がいるようです”
“いずれ沈む棺のようだ、と”

少将は、ふとそんな言葉を思い出した。
彼は疑念を抱く。

“あの男は、意図的に敵の増援があることを伏せていたのか
私が愚かであることを利用し、嘲り笑いながら見ていたのか”

もはや前方も後方も取り囲まれ、逃げ出すことなど出来そうにない。
その中で少将は、いくつかの疑問、そして答えを導き出した。

今更になってあの男が今、この場にいない理由。
そしてあの男が仕組んだであろう策に……少将自身が利用されたことを知った。

“開戦の狼煙は派手なほうがよいなどと……
私をその狼煙にしようというのか、ディートリヒ・ベルグ”


砲撃を浴びて、揺らぐ戦艦。
幾人もの兵がこの棺の中で、ただ無情にも防れる死を待っていた。

“街を攻めるなどと、体のいい理由を作り上げ、奴は私をここで葬る予定だったということか”

”私が死ねば、更に深く攻めこむ理由を得られる。
そして自らが逃げるための囮として、私を利用したのか、ディートリヒ・ベルグ”

あの男にとって必要だったのは、少将の死と退くための時間だ。
ここで勝とうなどと、思っていなかったのだろう。

“この程度のことに気づけないとは、しょせんは私も貴族のひとりに過ぎなかったということか”


そうして燃え上がる戦艦の中、
身動きをとることが出来なかった男は、そこで静かに息を引き取った。




「しかし困りましたな。少将殿がいないと軍が……。」
「報告は私が行う。なに案ずるな。貴様はこれまでどおり尽力してくれればよい。」

地上に降り立ったディートリヒ以下、数名は沈みゆく戦艦を見上げていた。

「少将閣下。あなたは無能であったが、それゆえ利用するに足る将でありましたな。
愚策に気づくことなく、自らの船と共に敗れて、さぞやお喜びのことでしょう。」

その呟きは、ブルーノには届かない。

ドルキマス国を、そして国王を討つという意志が、
全てを犠牲にしても構わないという黒い信念が、
ディートリヒ・ベルクを掻き立てる。

そのために必要なものを利用し、不必要なものを切り捨てる覚悟は、既に出来ている。

少将が消えた。
軍はほんの一時、混乱に陥るだろう。
それすらも利用する。

その覚悟が……。

「まだ足りない。この程度では、復讐には至れない。」
心に熱を帯びたディートリヒは、小さく言葉を漏らした。

やがて心が擦り切れ、死を望むそのときまで、
ディートリヒは決して立ち止まることはできない。



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